ゼロから作る「映画鑑賞スケジュール管理アプリ」

知識0のド素人がスマホアプリを作っていくブログです。

 最近は、自分の頭でものを考えるということがとんと減った。知りたいと思ったことはネットで検索すれば大概出てくる世の中だ。そんな体たらくだから、ぼくの思考力はずいぶん落ちたことだろう。

 良く言えば、考えることの簡略化。知的労力がかからず、ある意味経済的かもしれない。悪く言えば、思考の外注化。自分の頭でものを考えて答えをひねり出す努力をしないで、他人の脳みそに頼りきる。それって楽ではあるけれど、達成感はない。でも、万能感があるからこそやっかいだ。答えを検索しただけなのに、自分は賢い人間だという気分に陥る。

 昔、何かの評論で読んだ。現代は「活字離れ」ではなく「活字まみれ」なのであると。現代の若者は本や新聞を読まなくなった。それもそうだが、実際は活字の踊る媒体が多様化している(昔のように紙媒体に限らず)のだ、という意味らしい。街頭広告やスマートフォンを例に出すまでもなく、世の中を見渡せば、ありとあらゆる表現媒体に活字が、言葉が、付きまとう。

 「活字まみれ」。なかなか面白い言い回しだけれど、ぼくはそれを現在に則して少し言い換えたい。「活字まみれ」はやがて、「答えまみれ」になってしまったのではないだろうか。

 「答えまみれ」と言っても、ここで言う「答え」はそれが必ずしも「正しい」とは限らない。いやむしろ「正しさ」とは関係がない。誰かが「これが答えだ」と提示してさえいれば、それは内容の正否に関わらず「答え」なのである。玉石混淆とでもいった風に、それぞれが提示する「答え」の数々で混沌としたさま、そんな現状を「答えまみれ」と言い表したい。

 そんなことは有史以来ずっとそうだったかもしれないけれど、今やめいめいが自己主張しすぎている。選択肢が多すぎ、世の中おびただしい量の「答え」にまみれている。

 インターネットなどは特に、それぞれの「答え」でけたたましい。暴力的と言えるほどだ。自ら「答え」を考えひねり出さなくてはならないという悩みが、どの「答え」を選ぼうかという贅沢な悩みに取って代わる。

 

 まあ何が言いたいかというと、スマホとにらめっこするだけの人生ってもったいなくね?ということなのでした。