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理由、あるいは動機

履歴書を書いていて思ったこと。

 「理由」や「動機」というものは、長い間うそっぱちの論理だと思い込んでいた。「理由」も「動機」も突き詰めて考えていくと、結局は行為がなされてから後出しでひねり出された論理じゃないか、と。この考え方が間違っているとは今でも思っていない。ただ、それらの言葉が意味するはずの「行為と行為前の因果関係」に嘘が混じっているとしても、「理由」や「動機」というものには、行為と行為前の因果関係を正しく記述することとはまた別の意義があるのだ。

 それは、それだけあなたを行動に駆り立てるようなことならば、その行動についていくらでも言及することができるだろうという、「語り」の可能性と妥当性だ。

 本当に関心のある事柄であるのならば、多くを語れて当然。「動機」というのは、ある行為行動以前の心境や意志を説明するためのものではないのだ。いや、単に説明としての機能だけを有しているのではないと言うべきかもしれない。なぜなら「動機」は、関心があるものやことと自分との関係について、説得力を持って語ろうとすること、その表現や能力のことだからだ。

 だから「理由」や「動機」は厳密に客観的自己分析でなくてもよかったりする。真実味(説得力という意味での)を補強するための嘘が入り込める余地は、かなり残されている。

 そして、動機の言語化とは、自分が何をしたいと考え、また何をしてきたのかを省み、自分の選好の傾向を自認させる契機となる。理性と感情をほどよくブレンドさせ、自身の行動に意味づけをする。それらは今後の自分の行動を調整するための情報の蓄積ともなるし、他人に対しては自分という人間の表現手段のひとつにもなる。

 自分が起こした行動に意味を充実させるため、また、意味の充実を求められるために、「理由」や「動機」は際限なく生産されるのだろう。

 


松岡修造メッセージ 意味ばかり考えているあなたに - YouTube

・・・そしてこういうことも思うのだけれどw