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CRASH


国立近代美術館で開催中の『「具体」−ニッポンの前衛 18年の軌跡』展を見に行ってきた。

 凄惨。打ち付けた肉塊をズタズタになるまで引き伸ばしたかのような、そんな荒々しさ。今回の具体展で感じた一番の驚きは、「ぶちまけられた怒り」とでも形容するしかない、絵の具と絵の具の暴力だった。激しい色彩に絵の具のしたたり、しぶき、ぐちゃぐちゃとした絵筆の軌跡。一歩間違えれば汚い落書きにしかならないような、大きな危険を孕んだ表現手法である。

 しかしこれらの作品は、そういったリスクも吹き飛ばしてしまうほどのダイナミズムを持っている。その魅力はグロテスクに過ぎると言ってもいい。赤と黒をメインにその他様々な色が交じり合った結果は、まさに異様という他ない。この生々しさと不気味さは、まるで哺乳類などの血液が赤く有機的な生物が、コンクリートか何かの硬い面に容赦なく叩き付けられたかのようである。ポロックに代表されるドリッピングやポーリングの技法をより大胆にし、破壊力をみなぎらせたのがこのふたつの絵画の特徴だ。上のふたつの作品は、正面からでも絵の具がごつごつと脈打ったまま固まっているのが見て取れた。このむき出しの、おびただしい、曝け出された力強さこそが、自分がこれらの作品から感じた魅力なのだと思う。

 そもそも「具体」という名称の集団が執拗に抽象的表現を繰り出すというのが面白い。具体美術協会の作家たちは、あえて「具体」という名を冠することで、彼らの作品の抽象性を際立たせようとしたのだろうか。「具体」という言葉自体のあいまいさ・抽象性を抉り出す、「具体」の自己言及だ。また、この具体展で展示されている作品は、その多くが「作品」というタイトルであった。作品に作品と名付けるあたりにも、その抽象性の追究が伺える。

 いや、もしかすると、「具体」という名称は、唯一で、不可分で、純粋な具体性を有した作品だけを制作・提出し続ける集団であることを志向した上での命名なのかもしれない。そしてこう考えると、作品に「作品」というタイトルを付けていたのは、いい加減なのでも悪ふざけなのでも、抽象性の強調を狙ったのでもなく、ただその作品そのものが持つ具体性を、一切の先入観なしに感じさせるために取られた戦略だったといえるだろう。言葉による意味づけは過剰であり、作品自体の具体性を伝える妨げともなりかねない。「形」としてその存在が完結しているものに意味を重ねるのは余計なことで、要するに名前なんてどうでもいいのだ。

 とにかく「具体」の残した表現の数々は、新しいことをしようという意欲とアイディアに満ち溢れており、感性と理性、どちらの面でも大いに刺激させられた。