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「抽象化する」ということ

 古代ギリシアの哲学者、プラトンが提唱したイデア論について。

 イデア論においては、世界のすべての物事にはイデアという志向すべき目標・基準があって、そこに収斂するよう様々な事物や事象が象られんとされる。が、実際のところ、これでは意味の発生する順序が逆である。個々の事物や事象から抽出される特性(イメージ)、それらひとつひとつの類似性をかき集めることで、真・善・美、神、愛、勇気、倫理、といった象徴的な概念は形作られているのではないか。言葉というものは、世界という混沌とした情報の海の中にパターンを見極め、意味を抽出する過程の中で発生するものだ。「美しい」、「正しい」などの言葉の意味は、膨大な具体例や個々の実体験に基づき支えられているわけで、だからこそそういった言葉の内容のあり方は人によって微妙に異なってくる。

 今を生きる人々にしてみれば、あらかじめ多くの概念が用意され与えられるせいで、概念が事物に先立っているかのような錯覚が起きるのだろう。特に真・善・美のような、とりわけ象徴的で人間の感性に依存した概念の場合は、それらが普遍的な価値の尺度としてすべてに先行するよう感じやすい。

 また、イデア論の誤解は、個人が集団を語るときの誤りにも通じる。血液型占い、リア充、DQN、スイーツ、厨二、etc...。要はステレオタイプである。初めて相対するものを既存の結論に当てはめようとする。短絡的な印象批評。新たな対象の認識の放棄。古びた持論の確認作業。言葉で物事を括ることの罠が、ここにある。

 「人は見たいものしか見ない」というのは、そういうことなのかもしれない。